倒産社長のちまちま株式投資日記

会社を倒産させてしまった社長が少ない資金で投資しながら 日々思うことを書き綴る日記

高校野球 監督の追い出し方  その2


父母会会長から校長先生と会ってほしいと言われたものの その当時私はOB会の
副会長を辞めていたので 校長先生と会うのは断りました
いくら私が以前Y監督を社員として雇用関係にあったとしても 全然関係ない一般の人間が
野球部の問題に口出しするのはあかんと思ったからです


でも 父母会会長は断ったのにまた来ました
どうしても会って話をしてほしいと そこまで言うのなら 会ってみようかと
ただ 会長に校長先生には監督をなにがなんでも続けさせてほしいと という話は
しないよ とも言って会うことにしました





校長先生は 以前 ある学校の甲子園超強豪校の部長先生をされていた方で
どこにでもある野球部の内情は知っておりました
校長先生と会って とりとめのない話をした後 私は本題の話しで


校長先生の口から 父母会の親御さんに 監督はこのままY先生で行く  と
言ってほしいと ゴタゴタしている父母会をなんとかまとめるためにも
そのように校長先生から言ってほしいとお願いしました


そして もしそれができなければ Y先生をどこかの高校に移動させてやって
ほしいとも言いました
今のこの野球部の状態 父母会が監督を変えよといった雰囲気の中 中途半端な状態
では 一生懸命やっているYがかわいそうだと伝えました


で その後父母会はまとまったかというと そうではなく表向き監督交代と
いう話はなくなりましたが コーチのSがその後も父母会をたきつけて
混乱させました





私自身は当時 母校を70年ぶりにセンバツに 甲子園出場させた監督なのにあまりに
ひどいOB会長の対応 そしてコーチのSが気に入らなかったので Yには
もうこんな学校早く出た方がいい  って言ってました



結局 その2年後だったかな  人事異動で今の学校に初代硬式野球部監督として
招かれ赴任することになったのです
表向きは人事異動とはいうものの 私にとってはコーチのSとOB会長に追い出された
ようなもんやと未だに思っております


監督を追い出した コーチのSは OB会長に取り入って次期監督に就任
まんまと監督を追い出すことに成功したのです


このSという人間 スポーツをする人間というより政治家みたいな人間
こんな奴が高校野球の監督になる
ある意味 人生の処世術はすごい奴やと思ったものです