倒産社長のちまちま株式投資日記

会社を倒産させてしまった社長が少ない資金で投資しながら 日々思うことを書き綴る日記

消防団 祝儀をもらって何が悪い!

朝乃山  大関に上がった頃 こりゃ必ず横綱になれるわ って思っていたけど
どうも相撲の内容が悪い  圧倒的な強さはどこへ行ったんや って思っていたら
そういうことやったんか  キャバクラ どこがおもろいんかな
まして コロナで感染するかもしれないのに


もうひとり アホがいますわ  ロッテの清田  ほんまドアホ
不倫謹慎明けにまたもや不倫相手とデート  それも別の女性!
おりゃーーーーー!! なんでそんなにモテるんや!
ちょっとぐらい こっちにまわしてくれーーーーーーーーーーーーー!! って(笑)
もう 野球やめて普通の人生送ってください  よろしく




私は証券会社を退職して 自営業となった時に引っ越し退職金の一部を頭金にして
買ったのが倒産する前に住んでいた町
分譲地ではなかったので 地元の地区の自治会に入りました
なので その時は私も若かったので地区の長老の人たちの勧誘を受けて
地元消防団に入団しました


地元消防団に入団して 約20年間勤めました
給料なんて一切なし ほぼ ボランティア活動 
退職金はもらいましたが それも会社の倒産で延滞した国保の支払いで消えました(笑)


消防団活動で忘れられないのは
地元の川で子供が流されて亡くなる事件が3年連続で発生
他府県から河川敷でバーベキューをするために 家族連れでその河川敷に来る
地元の人は その川が危ないことを知っているのでバーベキューなんてしないし
泳ぐということもしない



バーベキューしてたらふく食べて お酒を飲んでおしゃべりして さあ帰ろうかって
なった時に自分の子供がいないことに気が付く
なのでいつも日曜日の3時過ぎに出動要請が入る
出動して現場に行くとその親御さんから おまえら何しに来たんやと罵倒されたことも
あった


捜索と言っても 川の流域を見回りウロウロするだけ
潜水用具も持ってないし ボートもない  なので地元の消防署と警察に任すしかない
なので その罵倒した親御さんの気持ちもわからないでもなかったのです
その時も そうして時間がたって消防署が子供の遺体を川の中から発見して捜索は
終了


3年連続してそのようなことがあったにもかかわらず 何事もなかったかのように
団長がそれではお疲れさま 解散 って言った
消防団は飾りか! って思いましたねえ  その言葉にあまりに腹がった私は
団長に向かって この河川敷流域を遊泳禁止にしてくれ  遊泳禁止の看板を掲げるとか
町役場に働きかけてくれと強く言った
次の年から その河川敷のところに遊泳禁止という看板が上がり 役場の職員が
見回りに それからはそういうことも無くなりました
ただ 今でもその河川敷は他府県から多くの家族連れが来ているみたいですけど



消防団に入っているときはサイレンが鳴るとドキッとしたし
いつも心のどこかで消防活動しなければという緊張感は持っていました
私が在籍していた時にはなかったのですが もし住んでいる地区内で火災が起きると
出動しなくてはいけないし もちろん消防署がきて消火活動をします
でも 地元消防団は消火活動が終わったともそこに残り 鎮火した後も再び火災が
起きないか一晩中見守りをします


だから地元の人たちに愛され 実際その地区の区長さんたちも消防団に入団していたから
いつも年末年始  ご苦労さんと祝儀を出してくれたのです
その出してくれた区長さんたちも若いときは消防団に在籍していて 同じように
祝儀をもらっていましたから


その祝儀って 地元地区のご年配の方たちとのつながりみたいなものです
その祝儀でお酒を買って 団員みんなと一緒にお酒を飲んで語る
楽しかったなあ(笑)
私なんか 他の地区から来た人間でもその消防団に入団していたからこそほかの
人たちとの交流があったのです



昭和からの習わし  祝儀がなんで悪いのかわからんです
こういう近所付き合いがあるからこそ 消防活動にも力が入るのです
都会みたいに 隣の人はどんな人が住んでいるのか知らない って話じゃないです



こんなことでもダメ あかんのかってほんま薄っぺらい世の中やな 
世知辛い世の中やなって つくづく思いますわ