倒産社長のちまちま株式投資日記

会社を倒産させてしまった社長が少ない資金で投資しながら 日々思うことを書き綴る日記

遺産相続は無し その2

岡江久美子さん 亡くなったというニュース ショックです
同い歳だからかすごく悲しいです





義母が孫 つまりうちの娘と言い合いになって断絶状態になった頃は
ちょうど経営していた会社が倒産して 弁護士先生にお任せして
会社整理 債務整理も終わり 破産手続きが終了した頃だったと思います


うちみたいな超零細企業は本当は 夫婦仲良く経営していかなければ
いけないのですが うちの場合それができなかった
うちの奥さんは頭がよくて 勉強の成績も私なんかよりずっとよかった
でも 何もかもがずさん 同じ間違いを何度もする


仕事を手伝ってもらっても 間違いはしょっちゅう それも同じ間違いを
何度もする その度に私はゆっくりでいいから 確認しながらやってよ と
注意する けれども そんな注意はどこ吹く風 わかってるよと言いながら
また同じ間違いをする で奥さんと衝突! 誰だって怒ります
仕事ですからね 間違うたびにやり直しの費用がいる それにお客さんの
信用がなくなる 納期が遅れる


私みたいなお父ちゃんお母ちゃんで経営する会社は 大抵旦那さんが社長兼営業
奥さんが事務 って感じになるんだけどうちはそういうふうにはならなかった
だって奥さんが事務をやっても間違いまくるから
いちばんひどかったのが支払い小切手をチェックライターで印字するときの
桁間違い  たとえば1万円の支払小切手が10万円とか。。。(泣)
その度に確認してと言うのだけれど これまた何度も同じ間違いをする


なので もう諦めました こりゃうちの奥さんはこういう仕事に向いていないと
本当は助け合って仕事をすれば 会社もうまく行くのになぜか奥さんは
そのことがわからなかった
二人で助け合って経営して行かなければいけないのにそうならなかった
そういうことで衝突したことも病気 鬱の原因かもしれません


実家に帰るのは病気になってからは特にひどくなり もめるたびに実家の義母が
呼び戻し そうそう 会社倒産するって家族会議になった時もそばに
いなかった
家族会議は 私の母親とうちの娘とで3人で決めました
(娘は 稼業の跡を継ぐ覚悟だったと後に言ってました(笑))


なんせ 義母が実家に帰れと言っては呼び戻すものだから 大切なことを決めるときとか
ほんまに私のそばにいなかった
会社倒産の時 自宅を差し押さえで出ていかなければならなくなりそれで
引っ越しするってなった時も実家に帰っていていなかった
まあ その頃は娘と義母が衝突して本当に断絶状態だったのでいないのは当然
引っ越しは私と息子二人 そして野球部の同期が手伝ってくれました
持つべきは友ですわ(笑)


いちばんかわいそうだったのが 3番目の息子(次男) 
就職も決まり 入寮で初めて大阪に行く時 私と娘そして3番目の息子とで
私のクルマで大阪まで送っていきました
普通は 息子にとって人生の大事な門出 お母さんが一番心配して送り出すでしょ 
でもそういうこともなかったんです
代わりにその当時大阪に住んでいた娘が お姉ちゃんが色々切符の買い方なんか
教えたるわ と次男に言いながら向かったのを覚えています
(お姉ちゃんが母親代わりしていたようなもんです)


大阪 中百舌鳥の駅まで二人を送っての帰り道 私は息子が不憫で仕方なく
運転していると なぜか涙が出てきて泣きながら帰りました